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  • どこまで聞いて良いのだろう

    人と話していて時々思う。

    掘り下げて良いのか、あまり聞かないでほしいのか。

    私としては相手が自ら話してくれたら聞くつもりだが、

    相手は私から質問されたら話すつもりなのかなと。

    ”もし聞いてほしいことがあったら言ってね”と伝えて

    あとは相手に任せてみたら良いのかな。

    私のスタンスとしては、

    相手が聞かれたくないと思っていることは突っ込みたくないし、

    聞いてほしいことがあるなら聞いてみたいと思う。

    だからこんな感じかな。

    でもそう言われても、話しにくいと感じる人も居るだろうな・・・

    こんなことを考えてはまた答えのないところで彷徨ってしまう。

    こんなときにも大切なことは

    自分なりに相手を思いやっているかどうかかな。

    その気持ちがあれば言葉ではなく伝わるものがきっとあるはず。

    それが伝われば、相手が話したいと思えばきっと話してくれる。

    もちろん無理に話してくれなくていい。

    話したいときに話したいところだけ。

    ぜんぶ話さなくてもいい。

    聞く方も話す方も素直になれたら良いね。

     

  • 人と話して疲れるとき

    ・自分が素直に話せないとき

    ・意見が理解されていないと感じるとき

    ・自分(意見、行動、立場など)を否定されたとき

    ・こちらの問題に無配慮に突っ込んでくること 等

    挙げてみたが、話している人や時によることもある。

    誰にでも意図せぬ間違いが話の中でも起こるし、

    その時々の気分によって受け取り方も変わる。

    ”あのときの言い方が悪かった”と思うこと、

    同じ話を失礼に思う人もいれば何も思わない人もいること。

    人それぞれ考え方の癖は身についてるかもしれないけど、

    考え(話す内容も受け取り方も)も変わりうるだろう。

    ”あのときはこう思ったけど今は違う”ということね。

    そんなことを前提に考えても、

    人と話すうえで大切なのは

    ”どういう気持ちで話しているのか”だと思う。

     

    話の奥に心が透ける

    たとえば「あなた面白いね」と言っても、

    非言語コミュニケーション(表情、話し方など)で

    ”私には理解できない人ね”って嫌味なのか

    ”周囲を笑顔にするね”って褒め言葉なのか伝わる。

     

    気持ちよく話せる間柄って・・・

    話す側が話に乗せる気持ちと

    聴く側が話を汲み取る気持ちがマッチしているのでは?

    言葉遣いも似ている物同士と言いますか。

    言葉に持つイメージが共有できていないとね。

    伝える側と伝わる側でミスマッチが起こっている場合は

    もう相性が悪い、気が合わない間柄なのでは?

    話していて嫌悪感や違和感があれば関係は続かない。

    言葉選びに引っかかりが多いとかね。

     

    話すことと話さないことをよく見極めて

    言わなくていいこと、聞かなくていいことを持ち出さない。

    相手の弱みに付け入ろうとか、引き出そうとか、しない。

    相手に気持ちよくなってもらおうと

    わざわざ話を偽ったり盛ったりもしない。

     

    相手への思いやりは自分を高めるはず

    ただ自分なりの思いやりを持って話すことは必要では?

    悪気がなくても相手を傷つけることもあるけど、

    なるべくそんなことがないように都度考えていれば

    思いやりの心って磨かれ続けていくのかもしれない。

     

    気が置けない人が1人でもいれば最高

    もう信頼関係が成り立っていれば

    話す内容や言葉選びに慎重にならなくて済む。

    ”この人は自分が嫌な気持ちになることを言わない、

    少なくともそんなつもりはないよね”って分かる人。

    もし話していて”ん?”って引っかかることがあれば

    質問したり話し合ったり出来る人。

    きっとお互いの良き理解者でありサポーターだろう。

     

    話し方に人となりは現れる

    ずっと話していれば印象は濃くなってくる。

    その人が滲み出てくる。

    結局は自分を磨いていけば話し方も磨かれていくのかな。

     

     

     

     

  • 友人と縁を切ったことありますか?

    意図的に縁を切った人、私は何人もいます。

    どの人に対しても後悔はないです。

    付き合う人を選ぶことは悪くないと思います。

    以下、私の体験談が何か参考になれば幸いです。

     

    どういう人と縁を切ったか

    主に2パターン。

    私のことを大切に思っていない人。

    私が一緒に居て楽でない人。

     

    なぜ縁を切ったか

    私にとってプラスなことがないと気付いたから。

    時間もお金も労力ももったいないと思った。

    付き合いたい人と付き合うだけで十分と。

     

    いつ縁を切ったか

    自分のなかで相手に対する不満や不信が募り、

    それを解決できる気がしないと思ったとき。

    相手からしたら何の前振りもなく突然かも。

     

    どのように縁を切ったか

    徐々に距離を取り、最終的には連絡を断つ。

    まずこちらから連絡はしない。

    相手から連絡をもらったら最初はそっけない返事。

    今までの私と態度が違うと相手が気付くか微妙な線。

    会う約束は取り付けない。断る理由は探せばあった。

    もう冷たい態度を取ったり断ったりを繰り返しても

    相手が引いていかない場合は連絡を無視。

    何度か連絡をもらっても一度無視を決めたらずっと。

     

    縁を切ってみて思ったこと

    連絡を無視などして申し訳ない気持ちはありつつ

    仕方のなかったことだと結論付けてしまう。

    お互いにとってそれまでの縁だった、と。

    もしまだ縁があれば巡り会うはず、と。

    今まで本当にありがとうという気持ち。

    仲良くしていた期間を後悔することはない。

    今それぞれ楽しく過ごせていると良いなと思う。

     

    最後に

    過去の私のように

    ”なんとなく仲良くしているだけだ”

    ”この人のこういうところいつも嫌だ”

    と素直な自分が言う人があなたに居るのなら

    縁を切ってみることを考えてもいいかもしれません。

     

     

     

  • 少しずつ

    「これを頑張ろう」「ああしよう」なんて

    ついつい張り切ったり意気込んだりしちゃいがちな自分。

    それは持続できないことだと内心片隅で気付いているけど、

    そのときの自分を信じて鼓舞させたくなる自分馬鹿です。

    そして知らないうちに淀みのようなものが溜まっていきがち。

    結果「できてないな」「だめだなぁ」と落ち込んだふりをしがち。

    さぁ、今もわざわざ私自身で蔑まないで

    認めてより良いと思える方へ導いていこう。

    これまで実は完璧主義であったのだと自覚した新卒のときの自分。

    それから学んであらゆるハードルを下げて臨もうとしてきた自分。

    改めて打ち出そう。

    少しずつだ。

    頑張っても意味が無いかもしれないと思うと頑張れなかった。

    意味って何だろう。

    大成を納めたいわけでもなし。賞賛されたいわけでもなし。

    ただ自信を持ちたいだけだ。

    ならば頑張ってみたらいいじゃないか。

    きっとなんでも出来るよ。

    おまじないのような言葉を贈ってくれた友だちが居た。

    You can do everything.

    ありがたさとあたたかさを同時に感じさせてもらえる。

    そんな言葉をいつまでも心の中に留めて進んでいきたい。

  • 今を楽しむだけ

    それでいいのだ。と思う日も、

    それでいいのか?と思う日もある。

     

    今が大切な理由

    過去の事実は変えられないし

    先のことを考えても分からないし

    今しか生きられないからかな。

    今は、過去の自分にとって未来で、また過去にもなる。

    今は未来と過去が交わっている一瞬一瞬なんだな。

    過去にも未来にもつながっている。

    当然のことを言っているようだけど

    とてもありがたいことだな~と思えてくる。

     

    今を置いてけぼりにしない

    私はある旅で写真を沢山撮った。

    後々振り返ったとき楽しいかな嬉しいかなと思って。

    しかし、あまり振り返る機会はないまま。

    未来のためにその時を少し犠牲にしてなかったか?

    これは個人的に2つの想いのバランスを取るのが難しい。

    今を満喫したいのと将来振り返りたいのと。

    ただ振り返ったときに楽しい思い出でありたい。

    だからその旅を存分に楽しむことが優先だと思う。

    将来のために沢山写真を撮っておくことより、

    少ない写真でも沢山の楽しい思い出が蘇るように。

    すべてを思い出せなくてもいい。

    そのときそのとき楽しく過ごし続けていれば、

    心の充実感は強いものになっているはず。

     

    今ベストな選択を取ろうか

    ”今こうしたいから”

    ”今これが好きだから”

    ”今そう考えたから”

    選んだことが最善なのでは?

    力強い理由だと思う。

    ポイントは”自分が”ということ。

    常に今の自分のベストな選択を取り続けていけば

    自分にとって充実した人生になっているのでは?

    他人の人生ではないのだから

    自分の人生のことは他人に決めてもらうものではない。

     

     

     

     

     

  • 同じ環境じゃなくなった友人

    学校、職場、住む場所などなど、、

    以前は同じ環境で仲良くしていた関係であっても

    お互いの環境が異なってしばらく経つと

    以前のような関係が保ちにくくなることって多い。

     

    会話の心得が必要かも

    同じ環境であれば互いの立場をある程度知っていて

    共通の立場や話題があるから会話がしやすい。

    違う環境であれば互いの状況を会話でしか知れない。

    その会話を進めるのも少し難しい気がする。

    今どのような悩みがあるのか、ないのか。

    話したいこと、話したくないことは何か。

    気を遣って探り探りでも、無配慮でもきっと楽しくない。

    自分と相手は違う環境にいて、

    立場も暮らし方も日々考えていることも結構違うはず。

    今のお互いは近い感覚で話せることは少ないかも。

    (よほど気の合う人とは共感できることも多いかもだけど)

    お互いの違いを受け入れられたり理解できたりすればいい。

    「私はこう、あなたもそう?」ではなく

    「私はこう、あなたはどう?」のスタンスが大事かなと。

    自分とは違う環境に身を置く相手を尊重すること。

    違いを否定しないこと。

     

    変わること、違うことは悪くない

    変わらず居心地が良い関係というのは、

    きっと変わったものごとを受け入れられている。

    変わらないものもあるかもしれないけど、

    時間が経過するとともに変わることは本当に多い。

    変わり始めの時期は受け入れにくいのかもしれない。

    自分と相手で知っていることも出来ることも大きく違う。

    それぞれ日々別々に歩んでいるんだから。

    もしかしたら進む方向が離れていっているかもしれない。

    その道を合わせられない。合わせる必要はない。

     

    自分と相手を大切にしよう

    相手を理解しようとしたり尊重したりすること。

    相手を変えようとするんじゃなくて思いやること。

    自分の今の気持ちに素直になって認めること。

    無理に関係を維持しようとしないこと。

    なるようになる。

    縁があれば関係は続く。縁任せだ。

    どちらも悪くないけど関係が終わることも

    終わっていいことも再開することもあるだろう。

    きっとうまくできている。

     

    自分のスタンスをはっきりさせよう

    自分がその友人と本当に会いたいのか、

    時間やお金や労力はどこまでかけられるのか、

    どのように付き合っていきたいのか、

    はっきりさせておくと楽になる気がする。

    気の乗らない誘いを断る判断がしやすい。

    人間関係の築き方に迷いが減る。

    それでも戸惑うこともあるだろうけど、

    自分を犠牲にしない練習を重ねていこう。

    相手を尊重するということは、

    相手が相手自身を大切にすることを望んでいる。

    相手も自分に対しても同様に、

    自分が自分自身を大切にすることを認めてもらいたい。

     

     

  • お花見

    今日は昼下がりに家族で近所の桜を見に行ってきました。

    満開の濃淡さまざまなピンク色に、葉桜の黄緑色も少し。

    私たち以外にも桜を見に来ている家族やグループがいて、

    公園で遊んでいる子どもたちがいて、とても平和な週末。

    しあわせな日常の風景。

    桜の儚さや子どもの成長の早さを思うと、

    日常と言っていいのか分からなくなるけど、、。

     

    言葉の解釈

    私の中で“日常”というと”繰り返されるもの”というイメージ。

    だけど今日一日がとっても特別な日に思えたから、

    少し言葉選びにひっかかりを感じてしまった。

    最近、言葉の本来の意味が気になる。

    自分の解釈が合っているのか、別の人はどう解釈するのか。

    自分としてはしっくりきた言葉選びをしても、

    他人にはしっくりきていないことってよくあるんじゃ?と。

    逆も然り。人の言葉をそのまま汲み取れているのかな?と。

    言葉の解釈がそれぞれで違うと理解のズレが生じると思う。

    言葉の解釈が同じでも受け取り方に違いはある。

    ただしく届ける、受け取るって難しいことなのかなぁ?

    確認方法はないと思うけど、

    なんとなく伝わったかどうかって感じられることもあるよな。

    お互いの理解がうまくいく人間関係だと居心地良いのかな。

  • 何度も思い返すこと

    嬉しかったことより嫌だったことの方が多い気がする。

    嫌だったことを思い返しては、

    腹が立ったり反省したり成長しようとしたりする。

    無駄なのか、無駄じゃないのか。

    自分が嫌な気持ちを抱えたままなのは良くないよね。

    反省することは時に必要だけど、切替が大事とも思うよね。

    私の問題ではなく他人の問題であることは

    何度も思い返してもプラスになることはないよね。

    昨日も明日も考えず今日に集中するように生きてみたいよ。

    中学生頃からそんな風に生きたことなかったかもしれない。

    今を本当に大切にしたいよ。

    嫌なことを思い返している暇はないんだよ。

    分かっている、今を楽しむこと。感謝すること。

    それでも嫌なことをまた思い返してしまうこともあるだろう。

    トラウマなのかな?執着なのかな?分からないけれど、、

    自分が傷つけたことではなく傷つけられたことならば

    忘れて良いんだよ。

    忘れられることって才能だと思うな。

    考えることを放棄していいし、

    過去の自分を慰めてあげてほしいし、

    記憶をどっかに飛ばしてしまおうという心構えで。

    ぴゅ~っとどこかへ、さようなら~!

  • ついつい

    重たくなっちゃうんだぜ、やかんだもの。

    ”こころかろやかん”としてブログを始めて5日目。

    投稿を振り返ってみて、文字がずら~っと並んでいるのを見ると

    筆者でさえ読むのが億劫に感じたぜ・・・。(ちょっと修正した)

    こりゃ読者の方に届かないぜ。

    絵文字も使ってないし、真面目に語っていて、お堅めな印象かな?

    軽やかさはあるんか?

     

    私の中にある真面目と適当が対等に出てきてない感じ。

    良くも悪くも、私はいい加減さがあると思うんですが。

    軽やかさと言い換えたいところなんですけどね。

     

    理想は初投稿で掲げていたような”こころかろやかん”

    こころ軽やかにありつつも、どっしりと自分を持っている感じ。

    そうそう、なりたい自分のイメージはこうなんだ。

    それが分かったなら、自分像を描いて近づいていきやすい。

     

    精進いたします。

  • 思いたいままに思う

    私の思考が正しいわけじゃない(対他者)

    私の思考が間違いでもない(個人内)

    ただ、「私は今こう思う・考える・感じた」といった事実がある。

    時として別の誰かには理解しがたいようなものかもしれない。

     

    私には私の頭の中でしか、私の心の奥でしか、分からない感覚がある。

    そっくりそのままの感覚を持つ人は1人としていないよね。

    他者と似た部分や近い部分に共感できたとしても、

    100%分かり合えたよね!なぞ確認も証明もしようがない。

    そもそも私個人の感覚100%ってなんぞやって訳分からん話になるが。

     

    シンプルに捉え直そう。

    私個人の内面的な世界では私が思いたいように思うのみ。

    結局私がどう思うのかは私にしか決められない。

    私の感覚を他者に認知してもらわなくて良い。

    何か伝わるものもあるだろう。伝わらないものもあるだろう。

    私には私の世界観があって、他者の世界観と入れ替わることはできない。

    どこまでも個々人の世界が広がり合っている。

    思考や感情って正確に捉えにくくて移り変わりやすくてとても曖昧なものだ。

     

    諸行無常。形無きもの。

    自分自身でさえ掴めないものを他者が掴めないものなのだから、

    掴もうとしたり掴んだ気になることは愚かに思えてくる。

    今まで核心を突こうとしすぎていたかもしれない、自分にも他者にも。

    よりふわっと軽やかに生きたいなと思う今日この頃。

    私の世界を私がしあわせに生きられるように広げたり磨いたりしていきたい。