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  • 少しずつ

    「これを頑張ろう」「ああしよう」なんて

    ついつい張り切ったり意気込んだりしちゃいがちな自分。

    それは持続できないことだと内心片隅で気付いているけど、

    そのときの自分を信じて鼓舞させたくなる自分馬鹿です。

    そして知らないうちに淀みのようなものが溜まっていきがち。

    結果「できてないな」「だめだなぁ」と落ち込んだふりをしがち。

    さぁ、今もわざわざ私自身で蔑まないで

    認めてより良いと思える方へ導いていこう。

    これまで実は完璧主義であったのだと自覚した新卒のときの自分。

    それから学んであらゆるハードルを下げて臨もうとしてきた自分。

    改めて打ち出そう。

    少しずつだ。

    頑張っても意味が無いかもしれないと思うと頑張れなかった。

    意味って何だろう。

    大成を納めたいわけでもなし。賞賛されたいわけでもなし。

    ただ自信を持ちたいだけだ。

    ならば頑張ってみたらいいじゃないか。

    きっとなんでも出来るよ。

    おまじないのような言葉を贈ってくれた友だちが居た。

    You can do everything.

    ありがたさとあたたかさを同時に感じさせてもらえる。

    そんな言葉をいつまでも心の中に留めて進んでいきたい。

  • 今を楽しむだけ

    それでいいのだ。と思う日も、

    それでいいのか?と思う日もある。

     

    今が大切な理由

    過去の事実は変えられないし

    先のことを考えても分からないし

    今しか生きられないからかな。

    今は、過去の自分にとって未来で、また過去にもなる。

    今は未来と過去が交わっている一瞬一瞬なんだな。

    過去にも未来にもつながっている。

    当然のことを言っているようだけど

    とてもありがたいことだな~と思えてくる。

     

    今を置いてけぼりにしない

    私はある旅で写真を沢山撮った。

    後々振り返ったとき楽しいかな嬉しいかなと思って。

    しかし、あまり振り返る機会はないまま。

    未来のためにその時を少し犠牲にしてなかったか?

    これは個人的に2つの想いのバランスを取るのが難しい。

    今を満喫したいのと将来振り返りたいのと。

    ただ振り返ったときに楽しい思い出でありたい。

    だからその旅を存分に楽しむことが優先だと思う。

    将来のために沢山写真を撮っておくことより、

    少ない写真でも沢山の楽しい思い出が蘇るように。

    すべてを思い出せなくてもいい。

    そのときそのとき楽しく過ごし続けていれば、

    心の充実感は強いものになっているはず。

     

    今ベストな選択を取ろうか

    ”今こうしたいから”

    ”今これが好きだから”

    ”今そう考えたから”

    選んだことが最善なのでは?

    力強い理由だと思う。

    ポイントは”自分が”ということ。

    常に今の自分のベストな選択を取り続けていけば

    自分にとって充実した人生になっているのでは?

    他人の人生ではないのだから

    自分の人生のことは他人に決めてもらうものではない。

     

     

     

     

     

  • 同じ環境じゃなくなった友人

    学校、職場、住む場所などなど、、

    以前は同じ環境で仲良くしていた関係であっても

    お互いの環境が異なってしばらく経つと

    以前のような関係が保ちにくくなることって多い。

     

    会話の心得が必要かも

    同じ環境であれば互いの立場をある程度知っていて

    共通の立場や話題があるから会話がしやすい。

    違う環境であれば互いの状況を会話でしか知れない。

    その会話を進めるのも少し難しい気がする。

    今どのような悩みがあるのか、ないのか。

    話したいこと、話したくないことは何か。

    気を遣って探り探りでも、無配慮でもきっと楽しくない。

    自分と相手は違う環境にいて、

    立場も暮らし方も日々考えていることも結構違うはず。

    今のお互いは近い感覚で話せることは少ないかも。

    (よほど気の合う人とは共感できることも多いかもだけど)

    お互いの違いを受け入れられたり理解できたりすればいい。

    「私はこう、あなたもそう?」ではなく

    「私はこう、あなたはどう?」のスタンスが大事かなと。

    自分とは違う環境に身を置く相手を尊重すること。

    違いを否定しないこと。

     

    変わること、違うことは悪くない

    変わらず居心地が良い関係というのは、

    きっと変わったものごとを受け入れられている。

    変わらないものもあるかもしれないけど、

    時間が経過するとともに変わることは本当に多い。

    変わり始めの時期は受け入れにくいのかもしれない。

    自分と相手で知っていることも出来ることも大きく違う。

    それぞれ日々別々に歩んでいるんだから。

    もしかしたら進む方向が離れていっているかもしれない。

    その道を合わせられない。合わせる必要はない。

     

    自分と相手を大切にしよう

    相手を理解しようとしたり尊重したりすること。

    相手を変えようとするんじゃなくて思いやること。

    自分の今の気持ちに素直になって認めること。

    無理に関係を維持しようとしないこと。

    なるようになる。

    縁があれば関係は続く。縁任せだ。

    どちらも悪くないけど関係が終わることも

    終わっていいことも再開することもあるだろう。

    きっとうまくできている。

     

    自分のスタンスをはっきりさせよう

    自分がその友人と本当に会いたいのか、

    時間やお金や労力はどこまでかけられるのか、

    どのように付き合っていきたいのか、

    はっきりさせておくと楽になる気がする。

    気の乗らない誘いを断る判断がしやすい。

    人間関係の築き方に迷いが減る。

    それでも戸惑うこともあるだろうけど、

    自分を犠牲にしない練習を重ねていこう。

    相手を尊重するということは、

    相手が相手自身を大切にすることを望んでいる。

    相手も自分に対しても同様に、

    自分が自分自身を大切にすることを認めてもらいたい。

     

     

  • お花見

    今日は昼下がりに家族で近所の桜を見に行ってきました。

    満開の濃淡さまざまなピンク色に、葉桜の黄緑色も少し。

    私たち以外にも桜を見に来ている家族やグループがいて、

    公園で遊んでいる子どもたちがいて、とても平和な週末。

    しあわせな日常の風景。

    桜の儚さや子どもの成長の早さを思うと、

    日常と言っていいのか分からなくなるけど、、。

     

    言葉の解釈

    私の中で“日常”というと”繰り返されるもの”というイメージ。

    だけど今日一日がとっても特別な日に思えたから、

    少し言葉選びにひっかかりを感じてしまった。

    最近、言葉の本来の意味が気になる。

    自分の解釈が合っているのか、別の人はどう解釈するのか。

    自分としてはしっくりきた言葉選びをしても、

    他人にはしっくりきていないことってよくあるんじゃ?と。

    逆も然り。人の言葉をそのまま汲み取れているのかな?と。

    言葉の解釈がそれぞれで違うと理解のズレが生じると思う。

    言葉の解釈が同じでも受け取り方に違いはある。

    ただしく届ける、受け取るって難しいことなのかなぁ?

    確認方法はないと思うけど、

    なんとなく伝わったかどうかって感じられることもあるよな。

    お互いの理解がうまくいく人間関係だと居心地良いのかな。

  • 何度も思い返すこと

    嬉しかったことより嫌だったことの方が多い気がする。

    嫌だったことを思い返しては、

    腹が立ったり反省したり成長しようとしたりする。

    無駄なのか、無駄じゃないのか。

    自分が嫌な気持ちを抱えたままなのは良くないよね。

    反省することは時に必要だけど、切替が大事とも思うよね。

    私の問題ではなく他人の問題であることは

    何度も思い返してもプラスになることはないよね。

    昨日も明日も考えず今日に集中するように生きてみたいよ。

    中学生頃からそんな風に生きたことなかったかもしれない。

    今を本当に大切にしたいよ。

    嫌なことを思い返している暇はないんだよ。

    分かっている、今を楽しむこと。感謝すること。

    それでも嫌なことをまた思い返してしまうこともあるだろう。

    トラウマなのかな?執着なのかな?分からないけれど、、

    自分が傷つけたことではなく傷つけられたことならば

    忘れて良いんだよ。

    忘れられることって才能だと思うな。

    考えることを放棄していいし、

    過去の自分を慰めてあげてほしいし、

    記憶をどっかに飛ばしてしまおうという心構えで。

    ぴゅ~っとどこかへ、さようなら~!

  • ついつい

    重たくなっちゃうんだぜ、やかんだもの。

    ”こころかろやかん”としてブログを始めて5日目。

    投稿を振り返ってみて、文字がずら~っと並んでいるのを見ると

    筆者でさえ読むのが億劫に感じたぜ・・・。(ちょっと修正した)

    こりゃ読者の方に届かないぜ。

    絵文字も使ってないし、真面目に語っていて、お堅めな印象かな?

    軽やかさはあるんか?

     

    私の中にある真面目と適当が対等に出てきてない感じ。

    良くも悪くも、私はいい加減さがあると思うんですが。

    軽やかさと言い換えたいところなんですけどね。

     

    理想は初投稿で掲げていたような”こころかろやかん”

    こころ軽やかにありつつも、どっしりと自分を持っている感じ。

    そうそう、なりたい自分のイメージはこうなんだ。

    それが分かったなら、自分像を描いて近づいていきやすい。

     

    精進いたします。

  • 思いたいままに思う

    私の思考が正しいわけじゃない(対他者)

    私の思考が間違いでもない(個人内)

    ただ、「私は今こう思う・考える・感じた」といった事実がある。

    時として別の誰かには理解しがたいようなものかもしれない。

     

    私には私の頭の中でしか、私の心の奥でしか、分からない感覚がある。

    そっくりそのままの感覚を持つ人は1人としていないよね。

    他者と似た部分や近い部分に共感できたとしても、

    100%分かり合えたよね!なぞ確認も証明もしようがない。

    そもそも私個人の感覚100%ってなんぞやって訳分からん話になるが。

     

    シンプルに捉え直そう。

    私個人の内面的な世界では私が思いたいように思うのみ。

    結局私がどう思うのかは私にしか決められない。

    私の感覚を他者に認知してもらわなくて良い。

    何か伝わるものもあるだろう。伝わらないものもあるだろう。

    私には私の世界観があって、他者の世界観と入れ替わることはできない。

    どこまでも個々人の世界が広がり合っている。

    思考や感情って正確に捉えにくくて移り変わりやすくてとても曖昧なものだ。

     

    諸行無常。形無きもの。

    自分自身でさえ掴めないものを他者が掴めないものなのだから、

    掴もうとしたり掴んだ気になることは愚かに思えてくる。

    今まで核心を突こうとしすぎていたかもしれない、自分にも他者にも。

    よりふわっと軽やかに生きたいなと思う今日この頃。

    私の世界を私がしあわせに生きられるように広げたり磨いたりしていきたい。

  • 受け取り方

    限りなき可能性

    言葉、コミュニケーション、対人関係、物、出来事、文化・・・

    あらゆる物事1つ1つに対して無数の受け取り方があると思う。

    その善し悪しのボーダーラインは定かでなく、正解はないのでは?

     

    自分はどう受け取るか

    結局のところ、自分次第。

    自分の受け取り方は自分にしか決められない。

    これが正しかったか?と自問しても分からない。

    熟考しても正解が見当たらない。

    どこまでも正しさに辿り着かない。

    正しさは自分の中にも世界の中にもない気がしてくる。

    それぞれの、いくつもの正しさがあるとも言えるかな。

    自由が広がっている。

     

    自分の意思に責任を持てるか

    言動の奥にある意思は何なのか。

    自分にしか真意は分からないのでは?

    他人の真意を推し量ったり、分かった気になったりしても

    自分の中に他人の意思はない。

    自分の意思さえ自分で100%分かっている人はどれほどいるか。

    いろんな考え方があり、いろんな受け取られ方をされる。

    どんな意思を持つのか、そこに自信はあるのか。

    どうしても多かれ少なかれ賛否があるのだろう。

    正解が無い道で自分はどう立つか。どう進むか。

    その姿勢に個性が光るのは?

     

    自分の正しさを疑わない人

    たまに周りでそんな印象を強く抱く人がいる。

    なんだかんだ自分の世界観が正しいと思っているような人。

    会話中、押しつけてきたり否定してきたりするような人。

    相手にすると結構疲れる。

    そんな人と対立しても余計疲れるだけだと予感が働くから、

    素直な自分の意見を引っ込めてしまうことが多い。

    そんな人はますます自我が強くなっていくのかな?

    視野が狭くなっていることに気付くこともないままかな。

     

    より広い世界観で生きたい

    ”人の振り見て我が振り直せ”と思う。

    自分の世界観は狭くないか。

    広い世界観になるということは自由が広がって良いと思う。

    受け取り方を多面的に知り選べる。

    そうなることで自分のスタンスが

    濾過された純粋な水のように透き通ってくるのではないか?

     

  • 苦手な連絡

    なぜだろう・・・

    私は小学生の頃から連絡が苦手だった。

    連絡とは何か情報をお知らせすること。

    友だちから遊ぶ約束をするためにお家に電話をかけてとお願いされたとき、

    習い事でつながった友だちに習い事を辞めても手紙交換しようと言われたとき、

    気が進まなかったのは何故だろう。

    大人になった今でも連絡に苦手意識は続いている。

    根本的な理由を掘り下げてみよう。

     

    苦手な理由

    友だちと遊びたかったけど、お家の人と話さなきゃいけない可能性は避けたかった。

    他校の友だちで仲良しだけど、手紙交換は続かないと思って潮時にしたかった。

    これらは、連絡を取ること自体に私が必要性を感じられていなかった。

    しかし当時の私は気後れして結局、前者においては電話をかけてお家の人と話した。

    後者においては手紙交換を数回していつの間にか終わった。

    それまでのことだが、私にとっては初めからしなきゃよかったのにと思っていた。

     

    なるべく対話がいい

    私は直接会ってコミュニケーションが取りたい。連絡は最低限がいい。

    他愛のない会話はしたくても他愛のない連絡を取りたくはない。

    綺麗事に聞こえるかもしれないが、連絡では相手を思いやることが時に難しいのだ。

    相手がどのような状況か何も知らない。

    今の相手はどんな立場なのか、どう受け取るだろうか、負担にならないだろうか・・・

    想像しにくい分、言葉や表現選びに時間がかかる。

    少し情けない気もするが、それが実は私にとって負担となっている。

     

    対話がいい理由

    直接会っていれば受け取れる情報量や伝達フォロー材料(表情など)は増えるし、

    お互いに話すための時間を取れているならその時間はさらに対等な感覚もある。

    連絡手段は表現方法、文字数、タイミングなど気を遣おうとすればするほど迷う。

    さらっとふわっと言葉を出せるようになりたいが、連絡はおろか直接でもほど遠い。

     

    現状の対策

    少なくとも積極的に連絡を取り合わない。連絡が苦手な自分を肯定する。

  • 初投稿のご挨拶

    ブログへの想い

    ”こころかろやかん”という名前には「心軽やか」と「やかん」をかけている。

    読んだ後になんだか心がふわっと軽くなるようなブログにできたらな、

    やかんのようにどっしりとした芯を持っていたいな、という想いから。

    (なお、ときどき文面が重たく感じるかも、、)

     

    プロフィール

    筆者は関西在住のアラサー専業主婦。

    つい平凡な人間だと説明しそうになるが、平凡の概念も人それぞれだよなぁ。

    特記することがないと感じたのだが、誰のプロフィールでも個性的だよなぁ。

    ということで、ブログ初投稿記事だし簡単に自己紹介しておこう。

    ~経歴~

    大学卒業し、就職し、転職し、結婚し、退職し、出産し、子育て中。

    子育てと両立できる仕事を考えたときブロガーになりたいと思い立った。

    趣味は考え事とおやつタイム。特技は適当献立作り。

    ~性格~

    子どもの頃から「より良い性格の自分になるには・・・?」と常々考えてきた。

    成人して「性格に1番はない」「良い性格の認識は人それぞれ」と気付く。

    自分にできるのは、性格を極めることではなく自分を極めることだと思う。

    最近はなりたい自分になったつもりで過ごしてみようと思っているが、

    まだなりたい自分像が定まっていない。(ぼんやり、ざっくりとはある。)

    自分は向上心のあるナマケモノだと言うとしっくりくる。

    バランス的(真面目:面倒くさがり)には、脳内7:3、行動3:7かな。

     

    ブロガーになろうと思ったきっかけ

    昔から文章を書くことも読むことも好きだったからだな。

    小学生の頃から不定期に日記をつけたり、

    中学生の頃から無料ブログAmebaを利用したり、

    高校生の頃から色々なブログ記事に感化されてきた。

    今、言葉に関心がある。

    文章を作成することも在宅で行えるスタイルも私に合っていると思った。

    「何か仕事をしたい」「なるべく楽しく」と赴くままに始めている。

    稼げるようになって堂々と仕事と呼べる日が来るのか分からないけど、

    良い文章を、言葉を、心を積み重ねるように更新していけたらなと思う。

     

    投稿内容

    主には、日頃よりあれこれ考えてきた(いる)ことを記していきたい。

    趣味に挙げるほど日々考え事をしているからなぁ。

    ささやかなことが多いだろうな。

    自分の感情や思考の整理になっていることが多いんじゃないかな。

    そうして心や考えを磨いていきたいと思っている。

    そんな個人の記録のようなものが、

    もしいつか、誰かの癒やしになってくれたらとひそかに願い投稿する。

    思いつきで突拍子もない記事を投稿することもあるかもしれないけど。