受け取り方

限りなき可能性

言葉、コミュニケーション、対人関係、物、出来事、文化・・・

あらゆる物事1つ1つに対して無数の受け取り方があると思う。

その善し悪しのボーダーラインは定かでなく、正解はないのでは?

 

自分はどう受け取るか

結局のところ、自分次第。

自分の受け取り方は自分にしか決められない。

これが正しかったか?と自問しても分からない。

熟考しても正解が見当たらない。

どこまでも正しさに辿り着かない。

正しさは自分の中にも世界の中にもない気がしてくる。

それぞれの、いくつもの正しさがあるとも言えるかな。

自由が広がっている。

 

自分の意思に責任を持てるか

言動の奥にある意思は何なのか。

自分にしか真意は分からないのでは?

他人の真意を推し量ったり、分かった気になったりしても

自分の中に他人の意思はない。

自分の意思さえ自分で100%分かっている人はどれほどいるか。

いろんな考え方があり、いろんな受け取られ方をされる。

どんな意思を持つのか、そこに自信はあるのか。

どうしても多かれ少なかれ賛否があるのだろう。

正解が無い道で自分はどう立つか。どう進むか。

その姿勢に個性が光るのは?

 

自分の正しさを疑わない人

たまに周りでそんな印象を強く抱く人がいる。

なんだかんだ自分の世界観が正しいと思っているような人。

会話中、押しつけてきたり否定してきたりするような人。

相手にすると結構疲れる。

そんな人と対立しても余計疲れるだけだと予感が働くから、

素直な自分の意見を引っ込めてしまうことが多い。

そんな人はますます自我が強くなっていくのかな?

視野が狭くなっていることに気付くこともないままかな。

 

より広い世界観で生きたい

”人の振り見て我が振り直せ”と思う。

自分の世界観は狭くないか。

広い世界観になるということは自由が広がって良いと思う。

受け取り方を多面的に知り選べる。

そうなることで自分のスタンスが

濾過された純粋な水のように透き通ってくるのではないか?

 

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